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「産」と「学」 再考

CHIやSIGGRAPHのようなアカデミックのカンファレンス(学会)に参加すると、いつも(欧米と日本の)彼我の差を感じます。SIGGRAPHに参加した時にも書きましたが、今回も「産」から「学」への「金」の流れと、「学」から「産」への「人」の流れを感じました。

Microsoft, Google, Oravcleといったグローバル企業が、スポンサーとしてCHIにお金を投入しています(展示だけではなく毎日のようにパーティも開催しています)。その目的は求人です。求人ブースに行くと、User Experience DesignerとかUsability Reseacherといったようなジョブタイトルが求人されていました、パーティでも「Microsoftで仕事をしよう」というパンフレットが配られ、映像も流されていました。CHIはそういったプロフェッショナルの供給源なのです。もちろん対象は「学」だけではないかもしれませんが...

日本の場合、「学」への求人は新卒一括求人であり、ジョブディスクリプション ベースで求人をすることはあまり行われません。入社してからOJTなどで教育して育てていきます。欧米では「学」で教育された人材を求人します、そのほうが効率的だからです。「学」がプロフェッショナルを養成する場になっているのですね。日本の「学」は「産」のニーズが分かっていないということは数十年言われ続けていますが(先日のNikkei Netのコラム)、改善されたという話は聞いたことがありません。

理由の一つとして感じるのは、「学」コミュニティの小ささです。CHI2008の参加者(学生を含めると約3000人)は、イタリアで開催されたこともあって、半数近くがヨーロッパからだったそうです。日本語という言語でコミュニケーションしている以上、コミュニティは大きくなりません。日本の「学」を英語でコミュニケーションする場にするというのもなかなか難しそうです(一部の人たちの挑戦はありますが)。小さなコミュニティではタコツボ化して、局所最適化され、その中だけの内輪のムラになりがちです。「学」がプロフェッショナルを育てる場となっていなければ、「産」がそこに「金」を投入するのは非効率と感じるでしょう。

もうひとつ、「産」のプロフェッショナルたちがこういった場(学会)で発表するということも重要でしょう。Paper(論文)だけではなくCase Studyのようなセッションも数多くありました。「学」コミュニティの懐の深さを感じますし、「産」の中でのプロフェッショナルの扱いにも彼我の差があると感じます。

会場がルネサンスの街フィレンツェということもあり、美術館や博物館や教会を見ることができました。ルネサンス期の絵画では、陰影や遠近法が開発され、近代的なフォトリアルな様式が完成されていきました。でもその対象は宗教画です。「受胎告知」だの「三賢人」だのというモティーフが繰り返し描かれます。これは画家のようなプロフェッショナルたちが皆宗教に熱心だったわけではなく、当時教会が最も「金」を持っていたからです。その金がプロフェッショナルたちに流れたのです。教会に行くと大きな絵画やフレスコ画が所狭しと教会内に並べられ(描かれ)ています。フィレンツェに来ると、礼拝堂・ドゥオーモ・霊廟などの建築に対して、メディチ家や教会が膨大な金と人と時間をかけたことが理解できます。写真はフィレンツェのドゥオーモの外観とその天井のフレスコ画です。

   

プロフェッショナル、プロフェッションということについて「産」と「学」で共通のアイデア・言葉・概念をもたないと、なかなか「産」と「学」との「金」と「人」の流れを作り出すのは難しそうです。CHIやSIGGRAPHを「学」と定義するのは間違っているかもしれませんね。「産」と「学」とで構成されたプロフェッショナル間のコミュニティと位置付けたほうがわかりやすいような気もします。