Skype Translator の登場と、日本人に求められる「真」のグローバル教育
今月中旬のブログ記事「Skype Translatorプレビュー – コミュニケーションの新たな時代の幕開けに高まる期待」で発表がありました通り、Skype Translator プレビューの募集が開始されました。音声会話の同時翻訳については、まずは英語とスペイン語の間で開始されます。テキスト同時翻訳については数か国語の間で可能になる予定です。下記のビデオをご覧いただくと、その凄さを実感できます。
【ビデオ】Skype Translator preview opens the classroom to the world
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日本語と英語などの音声同時翻訳はまだこれからですが、テクノロジーの力をもってすればそんなに遠くない将来に、日本語と他の言葉との「壁」が取り払われる日もやってくるでしょう。
これからの日本人に求められる「真」のグローバル教育とは
それでは、言葉の「壁」が取り払われてしまえば日本人はグローバル社会の中でやっていけるのでしょうか。答えは残念ながらノーです。日本では英語ができないことへのコンプレックスが強いため「グローバル教育=英語教育の実施」ということが強調されすぎていますが、言語はグローバル社会で生きていくためのひとつの要素でしかありません。つまり、言葉の「壁」が取り払われたとしても、グローバル教育は行わなければなりません。また、逆にいうと「英語教育以外にもグローバル教育としてやるべきことが多くある」ということになります。これは、マイクロソフトなどのグローバル カンパニーで働いてみるとよくわかります。たとえば、以下のようなことを行っていく必要があります。
- ロー・コンテクストを前提としたコミュニケーション スタイル (空気を読んでくれることを前提としない、共通のバックグラウンドがあることを前提としない)
- 自分の意見を発言して議論を戦わせることができる (ディベート) トレーニング
- 身振り、手振りなどのジェスチャーや表情、態度を使ったコミュニケーション
- 漏れなくダブりない (MECE) 論理的な話の組み立てを行う、結論を先に言うスタイルのコミュニケーション (起承転結でなく)
- 自分の国の歴史や文化の特徴をよく知り、世界の中でのこれまでの、そしてこれからのポジショニングをよく理解し、説明できること (アイデンティティの確立)
そして、これらの要素はテクノロジーで解決されるものではなく、その人のアイデンティティ、思想、考え方、知識などいろいろなものに結び付いていることが分かります。これからのグローバル教育を考えるにあたっては、むしろこうしたテクノロジーで解決されない課題の解決方法をいかに身に着けるか、ということに重点を置いて設計することが求められるようになってくるでしょう。
いずれにしても、テクノロジーによって言語の「壁」が取り払われていくことは喜ばしいことです。日本の「真」のグローバル化のための一歩を踏み出すにあたり今後に期待したいところです。